満員電車の中身
私は満員電車がそれほど嫌いではない。
別に好きでもないが、おそらく普通の人よりかは嫌いではないと思う。
ただし条件がある。
中身だ。中身が統一されていること。乗客の種類の内訳のことだ。
■ケース① 良い例
朝の通勤時間帯
解説︰ほとんど会社員か、1限のある学生のためみんな目が死んでいる。たまに旅行客もいるが気にならない。ちなみに乗車率はえげつないため体が浮くことがあるがたいした問題ではない。
■ケース② 悪い例
朝の通勤時間帯
解説︰地獄。パークの繁忙期などから舞浜で降りる客を加味した混雑予想は可能であるが、客の種類までは予測できない。
満員電車をアトラクション感覚で楽しみ、人ごみに飲まれながら一番最初に取るファストパスの相談をしているのが最高にヤバい。私たちはこのままシャチクーランド(年パ所持)に直通インパなのにこいつらにとって武蔵野線はアトラクションの一部でしかないし、なんならここからリゾートラインなのだ。満員電車に紛れる異分子が、私に逃れられない現実を叩きつける。どこへも行けない体が悲鳴をあげる。
「そんなことない、そうだよね?私だって舞浜に行けるよね?」
葛西臨海公園のホームのペンギンのポスターに問い掛ける。
「行けるよ」
ペンギンは答える。
「じゃあ、」
「──ただし、ここで降りて反対方向の電車に乗れれば、の話だけどね」
ペンギンはそう言い残すとさっさとどこかに泳いでいく。だめだ、行かないでくれ。私を置いていかないで。
泳いでいるのは私の方だった。動けない足と離せない吊革。新木場へと流されていく。新木場に着くと足は自然と出口に向かう。数分前のペンギンのことなどとうに忘れていた。人混みに流されても変われなかった私、置いていくのはいつも私の方だ。